京都きっての繁華街、四条烏丸エリア。大通りを一本入ると、昔ながらの町屋の風情が残るこの街に2016年秋、一軒のコーヒー専門店、Okaffe kyotoがオープンした。店内に入ると、ブルーのデニムシャツが似合う“男前”がひとり、カウンターに立っている。岡田章宏。この店を立ち上げた本人であり、“ジャパンバリスタチャンピオンシップ2008-2009”で優勝した経験を持つ、日本を代表するバリスタだ。
早速、この店名の由来について、岡田さんに尋ねてみた。「“岡田が京都で開く店”だから“Okaffe kyoto”。周りから反対されたんですけど、コンセプトは明確にしたほうがいいと思って、この名前に決めました。」そう言い切った岡田さんの表情には、照れも迷いもない。その想いのルーツには、幼少期に体験した思い出があった。
左はOkaffe kyotoの入口。右はバリスタの岡田さん。
「母は昔から喫茶店が大好き。日曜日の朝食には、まるで喫茶店のようにホットドッグやサンドウィッチとコーヒーのセットを出してくれて。祖母も昔、京都で喫茶店を営んでいましたし、幼少期からコーヒーを身近に感じていたんです。」と、コーヒーとの出会いを語る岡田さん。そして思春期を迎え、大人になる頃には“おしゃれカフェブーム”が到来。彼自身も自然に喫茶店やカフェに足を運ぶようになったという。
「当時は実家の家業を継ぐために10年間、丁稚奉公をしていたんです。でも、なかなか家業の業績が上がらなくて……ちょうど転職を考えていたときに、昔から好きだったコーヒー関係の仕事に就こうと決めたんです。ゆくゆくは“喫茶店を開きたい”という夢を持ってね。」好きが高じて、コーヒーの世界へ飛び込んだ岡田さん。修行の地として選んだのは、同じく京都に本社を構える老舗のコーヒーショップ“小川珈琲”。当時31歳。年齢的には決して早いとは言えないスタートだった。
Okaffe kyotoのロゴは、岡田さんのシルエットをモチーフにしている。
“バリスタ”の存在を知ったのは、働き出してから間もなくのことだった。「“バリスタ”は今ほど認知度が高くなく、同僚に話しても“?”という反応。調べてみると、“デザインラテ”というスキルがあったり、バリスタの世界チャンピオンを決める大会があったり……カッコいいんですよね。そこではじめて、“日本一のバリスタになろう”とひとつ目標を打ち立て、取り組むことにしたんです。」
そこからの彼の行動は、実に思い切ったものだった。「当時、有名なバリスタは東京にしかいなかったので、彼らに会いに何度も夜行バスに乗って、東京のカフェを巡りました。アポなしで訪問しては“バリスタに興味があるのでいろいろ教えてください!”と、無理矢理お願いをしていましたね。」
単身で外の世界へ飛び出し、第一線で活躍するバリスタから直接、技や知識を学ぶ。岡田さんというひとりの若者のアクションはたちまち小川珈琲本社でも噂になった。そして2004年、社内でバリスタの日本チャンピオンを育成するプロジェクトが発足。その第1号に、岡田さんが選ばれることになる。
「アクションを起こしていなかったら、今の僕はいない」と、岡田さん。
岡田さんに当時の状況を振り返ってもらった。「どんな焙煎にしたら、どんな味になるのか。どんな抽出をすれば、美味しいコーヒーができるのか。エスプレッソに合う豆はどれなのか。東京で知り合ったバリスタさんたちに電話で相談しながら、あれこれと試行錯誤を重ねました。イタリアのバールにも修行に行きましたね。でも、好きなコーヒーと四六時中向き合えたので、とても楽しかったですよ。」
半年後には、会社を代表して“ジャパンバリスタチャンピオンシップ”に出場。その後は年々順位を上げていき、ついに“2008-2009大会”で念願の日本チャンピオンの称号を獲得することになる。修行を開始してから4年半後の快挙だった。
「もっと早く獲れると思っていたんですけどね。日本一になるまでの間にも関西でセミナーを開いたり、日本一になってからは社内のチーフバリスタとしてバリスタ育成に取り組むなど、順風満帆でした。でも、バリスタへの道を選んだ目的はあくまでも“喫茶店のマスターになること”。その夢の実現のためにここを離れようと決めたんです。」
エスプレッソの本場、イタリアのバールで修行していたときの岡田さん。
岡田さんが育ったのは、京都の真ん中にある“四条烏丸”エリア。その界隈で出店したいと思っていろいろ探してみたものの、いい物件が見つからない。誰に相談しても“その辺りは人気だから”と言われるばかり。「このまま諦めるわけにはいかない。」と感じた彼は、自分の足で店舗探しをはじめた。
そんな岡田さんの目に偶然飛び込んできたのは、一見さんにはわかりづらい場所にある、昔ながらの喫茶店だった。彼はひと目で、その店構えに惚れ込んだ。入店してコーヒーを味わったあと、店主にこう尋ねたという。「“いつまでやられるおつもりですか?”これが最初の会話でしたね。それから自分はこういうもので、コーヒーを提供できるお店を探しているなど、独立に向けた熱意を伝えました。」
岡田さんとそのお店との偶然は、まだまだ続く。「話していくうちにわかったんですが、このお店は小川珈琲の豆を何十年も買い続けていたそうで。その信頼と僕のこれまでの経歴を信用してくれて、“お店を畳んだあとに貸してあげる”と許しをいただくことになったんです。」
アーケードを抜けるとOkaffe kyotoが。店内にはテーブル席も用意されている。
偶然の出会いから数年後の2016年秋、晴れて自身がオーナー兼バリスタを勤めるコーヒー専門店“Okaffe kyoto”がオープンした。店内を見渡すと、最初にミッドセンチュリーテイストの内装が目を引く。そして店の奥まったスペースには、京都らしい小庭園があることに気づく。
「僕が目指しているのは“お茶屋”に近いのかも。お客様に京都の風情やおもてなしを体験してもらって、また遊びに来たくなるような雰囲気ですね。あと、京都は世界的にも有名な観光地なので、“バリスタの日本チャンピオンが淹れる京都のコーヒー”としての看板があるだけで、世界中の人に足を運んでもらうチャンスがある。つまり、最高の環境なんですよね。」と、岡田さんは笑顔で語る。
店内の小庭園と店前の路地。どちらも京都らしい眺めがある。
“お店に立つときに心がけていることはあるか”と、岡田さんに質問してみると、意外な答えが返ってきた。「コーヒーって、エンターテインメントだと思うんですよね。辞書で“エンターテインメント”と引くと、おもてなし”という意味があるんです。“ホスピタリティ”も同じ意味ですが、僕は前者のような、人を笑顔にするための“おもてなし”をする。だからカウンターは、そのパフォーマンスをする“ステージ”だと考えています。」
提供しているメニューの名前にも、そんな岡田さんの遊び心が詰まっていた。「提供しているドリップコーヒーは“ダンディブレンド”と“パーティーブレンド”、パナマ産のゲイシャ種“エスメラルダ”の全3種類。“ダンディブレンド”は、昭和の喫茶店で提供されていたような深みのある味わいが特徴。“パーティーブレンド”は、華やぐ女性のような軽やかさを表現したフルーティーな味わいに仕上げています。」このユーモアあふれるこだわりこそが、“バリスタ界のエンターテイナー”と賞される岡田さんらしさなのだ。
岡田さんがKalitaと出会ったのは、小川珈琲でのアルバイト時代だったという。そこから数々の経験を重ね、日本一のバリスタになった岡田さんが今もKalitaを使い続ける理由は、いったい何なのだろうか。「昔ながらの濃厚なコーヒーを届けたいと思っている僕にとって、Kalitaは最高の相棒。ゆっくり丁寧に、時間をかけてお湯を落としていき、抽出の後半まで高濃度を保つ。その繊細な加減にもKalitaはしっかり応えてくれる。だからずっと使い続けているんですよね。」
現在愛用しているのは“Made in TSUBAME”の銅製ウェーブドリッパー。このシリーズを選んだ理由についても聞いてみた。「衝動買いしました。よく見ると、どこか“和”を感じるデザインに仕上がっていて、銅製品が多いお茶道具のような協調性もある。これが店内にあるだけで“京都感”が出るんですよね。」
Okaffe kyotoの店内に佇む、Kalitaのコーヒー器具たち。
最後に岡田さんから、読者の方へメッセージをいただいた。「コーヒーは奥深い飲み物なので、難しく語ろうと思えばいくらでも語れるんです。でも、僕が皆さんに届けたいのは、暮らしの中に寄り添えるようなコーヒー。ここに来れば、僕のドリップしている姿を眺めたり、何時間もここで語り合ったりできる。そんな身近な存在として、ここに笑いに来るつもりで楽しんでもらえたら嬉しいですね。」
ドリップコーヒーの他にも、バリスタの腕の見せ所であるエスプレッソ系のドリンクや、どらやきをモチーフにした“パンどら”などの甘味、京都産のポークを使ったハンバーガーなど、喫茶店に憧れた岡田さんならではのフードメニューも充実している。京都にできた新名所“Okaffe kyoto”に一度、足を運んでみてはいかがだろうか。