オフィスに大学、外国の大使館……今、三田という街は、さまざまな人が行き交う場所になっている。ここにエアロプレスの技術で世界一に輝いた、極上のスペシャリティコーヒーを味わえるコーヒーショップPASSAGE COFFEEがある。このショップのストーリーをバリスタの佐々木修一さんに聞いた。
大きな窓の向こう側にコーヒーを楽しむ人々の姿がうかがえる。
「小さい頃から実家には豆から挽いて淹れるタイプの全自動コーヒーマシンがあって、家族で毎朝コーヒーを飲んでいました。毎日起きたらカフェオレを飲んで1日をスタートさせる。そんな小学生でしたね(笑)。」
幼い頃からコーヒーが身近にあった佐々木さん。「飲むこと」から、「淹れること」に目が向くようになったきっかけは、大学生時代のアルバイト経験だった。「大学2年生の19歳のとき、スターバックスでアルバイトを始めました。入社初日の研修でコーヒーを飲み比べたんですが、そこでコーヒーに個性があることを思い知るんです。その瞬間にコーヒーの奥深さに目覚めましたね。歳をとっても、ずっとコーヒーを淹れ続けているイメージが自然に湧いてきて、帰り道には、“コーヒーの道で生きていこう”と決意していました。」大学卒業まで2年半、スターバックスで、コーヒーの知識やホスピタリティの姿勢について学んだ佐々木さん。卒業後は別のコーヒーチェーン店に就職し、店長として経営や店舗運営のノウハウを身に付けていった。
カウンターには、セレクトにこだわり抜いた数種類のコーヒー豆が並ぶ。
順調にキャリアを重ねていたが、徐々に「自分の手でおいしいコーヒーを淹れたい」という想いが芽生えはじめ、バリスタとしてのキャリアを志すように。そんなとき、運命のコーヒーショップと出会った。「勤務していた店舗の隣のビルに、世界No.1のオーストラリア人バリスタ・ポールバセットがプロデュースしているエスプレッソカフェ“Paul Bassett”があったんです。そこは、当時国内で浅煎りを提供していた数少ないショップで、卒業したスタッフは業界の第一線を走る人ばかりというコーヒーの名門。休憩中に飲みに行くたび、素直に旨いと思っていましたね。”技術を学ぶとしたらここしかない”と考え、25歳のときにそこで働くことにしました。」
念願のPaul Bassettで、コーヒーと真剣に向き合う仲間に囲まれながら技術を磨くことに没頭した佐々木さんは、独学でエアロプレスでの抽出も学ぶようになった。そして、2014年には、エアロプレスの技術を競う世界大会「WORLD AEROPRESS CHAMPIONSHIP」で世界チャンピオンに輝く。「実は、その前年にも出場していたんですが、そのときは経験が浅かったため2回戦で敗退してしまいました。でも、自分のチャレンジが評価されて、Paul Bassettでもエアロプレスをメニューとして導入することに決まったんです。そこで1年間エアロプレスと真剣に向き合い続けた結果、チャンピオンになることができました。」
世界大会の優勝時に獲得した、エアロプレス機器のかたちをしたトロフィー。カウンター裏に飾られていたものを特別に見せてくれた。
エアロプレス技術で世界No.1にも輝き、店舗でも着実にバリスタとしてのキャリアを重ねていた佐々木さんに、独立への想いはいつ芽生えたのだろうか。
「Paul Bassetには6年半在籍しました。同僚はコーヒーへの熱量が高い、リスペクトできる人ばかり。仕事も、豆選び、焙煎、レシピ開発に人材育成……一通り任せてもらえるようにもなっていきました。とても恵まれた環境だったので、このチームで働けるなら、自分の店を出す必要もないなと思っていた時期もありましたね。でも、その反面コーヒーを深く理解していくにつれて、徐々に自分がつくりたいコーヒーのイメージと、Paul Bassettがつくりたいコーヒーのイメージに違いが生まれていって。こうなったら自分の理想のコーヒーを追い求めようと思い、独立を決意しました。」
そして、2017年3月。田町の国道沿いに満を持してPASSAGE COFFEEをオープンした。「PASSAGE」は「道」という意味。1粒のコーヒー豆(種子)が、いくつもの工程を経て、この場所で一杯のコーヒーとして結実し、お客様に提供される。その道のりに想いを馳せて付けた店名だ。
「スペシャリティコーヒーを表すとき、“seed to cup”という言葉が使われることがあります。つまり、農園で栽培・収穫された1粒の種子が1杯のコーヒーに変わるまでの過程を、高いクオリティで一貫させるという考え方です。もし、その途中で誰かが手を抜いたら、完成形としてのコーヒーは台無しになってしまう。だからいい状態で届いた豆に、バリスタが確かな技術で応えて、世に出さなければなりません。そのコーヒー豆が辿るプロセスに敬意を表すとともに、技術を磨いてきたバリスタ、日常の1シーンとしてコーヒーを味わうお客様、3つの異なるストーリーが交わる結節点になりたいという想いを“PASSAGE”という名前に込めました。」
素朴な木の質感を活かした内装。ロゴマークには「複雑に道が交わる」イメージを込めた。
佐々木さんが提供するのは、本格的なスペシャリティコーヒー。しかし、佐々木さんは、敷居の高いものにはしたくないと考えている。「自分のショップを構えるにあたって、特別なものとして味わってもらうコーヒーにはしたくないと思っていました。あくまで、日常に溶け込んだ1つのアイテムとして、気軽に触れてほしい。だから、あまり敷居の高そうな雰囲気づくりはしたくないんです。場所は辺鄙なところではなく、オフィス街でもある三田を選び、内装も装飾的な要素は削りました。」その言葉通り、打ちっぱなしのコンクリートと温かみのある木の什器が織りなす、過不足のなさが印象的な空間だ。
オープンから僅か1年あまり、確かな技術に裏付けられたコーヒーと、フラットにコーヒーを楽しめる心地よさを求めて、サラリーマンや外国人、学生など多くの人々が立ち寄る人気店になった。「美味しいコーヒーと、ちょうどいい距離感のサービス、両方を意識していますね。技術だけでも、サービスだけでもだめ。お客様の日常に溶け込み、末永くお付き合いするには、その2つの両輪を回しながら、いつ来ても楽しめるコーヒーショップにしなくてはと思っています。」
「飾りすぎないように」と、こだわる店内は、シンプルで心地よい雰囲気。
スターバックスでのアルバイトからはじまり、エアロプレスでの世界チャンピオン、コーヒーの名門Paul Bassettでの修行、そして独立……理想のコーヒーを追い求めてきた佐々木さんに、バリスタとしてのこだわりを聞いてみた。
「コーヒーの美味しさは、コーヒー豆の善し悪しで決まるのではないかと考えている方も多いかもしれません。また、焙煎にこだわっている同業者も多くいます。確かに、コーヒーの美味しさは、60%がコーヒー豆、30%が焙煎で決まると言われていますが、PASSAGE COFFEEでは残り10%の“抽出”にもこだわりたい。店名の由来でもお話しましたが、バリスタがコーヒー豆のポテンシャルを下げるようなことはしてはいけないと考えています。1粒の豆がコーヒーに変わって口に入る最後の瞬間まで妥協せず、1%でも美味しく出来る余地があるなら、そこにコミットしたいんです。」コーヒー豆のポテンシャルを活かしきるために、雑味を丁寧に取り除いて再現された「キレイでクリーンな味わい」は佐々木さんのコーヒーの特徴だ。
豆が「コーヒー」に変わり、口に入るまで、素材や機器選びにもこだわる。
コーヒー豆のポテンシャルを活かしきるために佐々木さんがこだわる“抽出”。その工程ではKalitaのウェーブドリッパーが使用されている。その理由を聞いてみた。「Kalita製品は再現性が高いので信頼しています。スタッフが何人かいるんですけど、イメージしている味を安定して再現するためにバリスタによる差異をなくしたいと考えているんです。あとは、余計な雑味を出さないために、穴の大きさに合わせてコーヒー豆の挽き目を調整したりと、Kalitaと付き合いながらクリーンな味わいを追求しています。」
最後に、佐々木さんから読者へのメッセージを頂いた。「コーヒーが苦手だと思っている人にこそ一度来ていただけたら嬉しいですね。クリーンな味わいのスペシャリティコーヒーは、きっと今まで飲んできたコーヒーとは別物だって思えるかもしれないから。“コーヒー”の価値観が変わる体験を味わっていただけたら嬉しいですね。」
確かな技術とこだわりを内包しながら、フラットな雰囲気が印象的な佐々木さん。シンプルな内装で極上のスペシャリティコーヒーを楽しむ。今日もPASSAGE COFFEEには、ちょっといい時間、ちょうどいい時間を求めてさまざまな人が訪れていることだろう。
微粉除去など余計な雑味を取り除くために「いいと思うこと」には手を抜かないとのこと。