古くから喫茶文化が息づく街、名古屋。日本で最も喫茶にお金を使う人々が暮らすこの街*は“喫茶王国”と称され、さまざまなメディアから注目を集めている。2014年の夏、そんな地に一軒のカフェバーがオープンした。
TRUNK COFFEE(トランクコーヒー)。ここは他の喫茶店とはひと味ちがう。温かみのある照明の下には北欧のヴィンテージ家具が並び、店奥の焙煎機は営業中にも関わらずフル稼働している。ソファに腰かけるとカウンターが一望でき、無駄のない動きでコーヒーを淹れるバリスタの姿が見える。店主の鈴木康夫さんは、デンマークでバリスタとして活躍した人物。そこには、異国の地で過ごした彼ならではの感性が光っていた。
*総務省統計局が公表する「家計調査品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(2013〜15年平均)」の喫茶代部門で名古屋市は1位を獲得。
TRUNK COFFEEは、名古屋の中心街から少し離れたところにある。
ソファに腰かけると、バリスタや焙煎機が目に飛び込んでくる。
「大学時代から旅行が好きだった。」こう楽しそうに語るのは、TRUNK COFFEEの舵を取るバリスタ、鈴木康夫さん。旅行好きが高じて、大学卒業後は旅行代理店に入社。地元である名古屋に勤務していた。
でも鈴木さんには、この地では叶えられない大きな夢があったという。「海外で生活してみたくて20代半ばで会社を辞めました。移住先は、英語が通じて物価が安かった欧州の島国“マルタ共和国”でした。」
鈴木さんはそれから4年間、奥さまと一緒にマルタで暮らしていた。「美しい景色を見ながら自分で入れたコーヒーを飲む。これが僕にとっての至福のひとときでした。バリスタを目指したのは、そんな景色を皆にも味わってもらいたかったからですね。」
TRUNK COFFEEの鈴木康夫さん。
修行の地に選んだのは、バリスタ世界チャンピオン最多輩出国“デンマーク”。鈴木さんは当時の状況をこう振り返る。「本気でやるなら、強敵だらけの世界に飛び込むしかないと思ったんです。ただ、デンマーク語も話せない、コーヒーのノウハウもない僕を雇ってくれるカフェなんてどこにもなかった。カフェに出向いては“給料はいらないから勉強させてくれ”と頭を下げて訴え続けましたね。」
ある日、ひとつのカフェから前向きな返事をもらえた。もちろん給料はゼロ。その後はカフェで働きながら、合間を縫ってバリスタがいるコーヒーショップに通い話を聞き、知識と技術を磨く日が続く。「見て、聞いて、淹れる。舌や技を鍛える方法はこれしかないんです。」
その血の滲むような努力が実を結び、正式スタッフに昇格することが決まった。本場デンマークのバリスタとして認められた瞬間だった。「この地でバリスタとして働く日本人は皆無でした。“ナンバーワンよりオンリーワンになろう”と決めて移り住んだので、かたちになってよかったですね。」
デンマークでバリスタになった日本人は鈴木さんが初めてだったそう。
ちょうどその頃、ノルウェーに住んでいた日本人バリスタ、小島賢治さんと知り合うことなる。その数ヶ月後、小島さんからFuglen Tokyoの立ち上げに誘われた。この運命的な巡り合わせから帰国を決意。“バリスタ”として日本に戻ってきた。「世界で愛されているFuglenの看板を背負うのが重圧でした。“どうすればこの味が伝わるんだろう”と、小島と頭を抱えながら店に立っていましたね。」
やがて、サードウェーブブームが到来。コーヒー目当てのお客様が来店し、笑顔で帰って行くようになる。“ようやく伝わった”という喜びを感じたと同時に、鈴木さんの中ではまたひとつ、大きな夢が膨らんでいったという。「前々から構想はあったのですが、Fuglenで働いていく中でようやく決心ができたんです。」そうして決意したのが、自分の店を持つことだった。
鈴木さんは語る。「小島との出逢いがなければ、ここにいないかもしれないですね。」
創業の地に選んだのは、鈴木さんの故郷・名古屋だった。「ここには昔から地域に根差した喫茶文化がある。そこに新しい風を吹き込めたらおもしろいと思って、名古屋に出店を決めました。」
続いて、店名に込めた想いもうかがった。「“TRUNK”にはいくつか意味があって。旅行カバンの意味もあるし、木の幹の意味もある。中でも僕は“幹線”という意味に惹かれました。僕らのお店が幹線となって、名古屋の新しいコーヒーカルチャーをつくる。この名前には、そんな強い意志が込められています。」
TRUNK COFFEEのロゴは、デンマークの人気デザイナーが制作。
このロゴが入ったオリジナルグッズも多数販売している。
名古屋の喫茶店と言えば、サラダやトーストなど、さまざまなオマケが付いてくる“モーニング”が有名だ。でも、TRUNK COFFEEにモーニングはない。その理由は簡単だった。「コーヒーを目当てに来店してくれる店でありたい思った。だからモーニングはないんです。」
そんなスタイルを貫くために、コーヒー豆や煎り方にもこだわりがあるという。この店の共同経営者でありロースターとして活躍する田中聖仁さんに話を聞いた。「豆はすべてスペシャルティコーヒー。そして北欧の味を再現するために、基本は浅煎り。提供するコーヒーもシングルオリジンがメインです。」
また、焙煎もひとつのパフォーマンスとして捉えているそう。「焙煎は営業時間内にやります。多い日は1日15回も。焙煎したての豆の香りを楽しんだり、目の前にいるバリスタと話したりできる。普通のカフェとはちがう空間をお届けできたらと思っています。」
共同経営者兼ロースターとして活躍する田中聖仁さん。
焙煎した豆は店頭やオンラインショップ、イベントなどで販売している。
バリスタである鈴木さんには確固たる信念がある。「プロである以上、淹れ方や味にブレがあってはいけない。お客様からお金をいただいて提供するものに関しては、プロとしてのパフォーマンスを見せる必要があるんです。」
鈴木さんはこう続ける。「スタッフにも同じモチベーションでコーヒーを淹れてほしい。だから日頃から“コーヒーが美味しいのは当たり前”と伝えています。」そう目を輝かせて離す鈴木さんの手には、ひとつのドリッパーがある。それはKalitaのウェーブドリッパーだった。
店内の家具や雑貨のほとんどは、欧州で買い付けたもの。
鈴木さんのお気に入りは、店奥にある3シーターのソファ。
鈴木さんがKalitaと出会ったのは、Fuglen Tokyoの立ち上げ時。「それまでエスプレッソマシンとエアロプレスしか使ったことがなく、ペーパードリップは未知の領域でした。いろいろな器具を試してみた結果、Kalitaのウェーブドリッパーに辿り着いたんです。」
その決め手は何だったのか、詳しく話を聞いてみた。「抽出が安定していて、狙った味をピンポイントに表現できる。クリーンな風味なのにボディがしっかり出せる。ペーパーフィルターならではの味わいが出せるのは、このウェーブだけ。これ以上のドリッパーが出ない限り、今後も使い続けますね、きっと。」
ウェーブドリッパーを使って入れるスタッフの様子。
イベント参加時にもこのドリッパーは欠かさず持参する。
鈴木さんはお客様によく“おすすめのコーヒーは?”と聞かれるそうだ。「そんなときはいつも“あなたが飲みたいものを飲めばいい”とお伝えします。そこから好みを聞き出したり、豆の特徴を伝えたりする。そんな些細なやりとりから、コーヒーに興味を持ってもらえたら嬉しいですね。」
鈴木さんは実のところ、名古屋があまり好きではないらしい。「だからこそ、自分が楽しいと思える街に変えていきたい。イベントを開くのも、週2回フリーカッピングを行うのも、陶器メーカーとコラボしてカップなどをつくるのも、ビールメーカーと一緒にコーヒービールやアイスコーヒーを開発するのも……皆さんに楽しんでもらいたいのはもちろん、僕らが楽しみたいからなんですよね。」
名古屋のコーヒーシーンに新風を巻き起こすTRUNK COFFEEが提供するのは、単に美味しいコーヒーだけではない。コーヒーを愛する人々が集まり、コーヒーに情熱を傾ける若きバリスタたちが腕を磨ける。そんな”ホットなスポット”をこの街に生み出している。だからこそ、ここには、つい通いたくなってしまう心地のいい時間が流れているのかも知れない。
岐阜県の陶器メーカーとコラボしたカップ&ソーサーや、
ビールメーカーとの共同開発ドリンクも店頭に並ぶ。