新潟県燕市。ここは「越後平野」のほぼ中心部に位置する町だ。かつては豊かな稲作地帯が広がっていたこの地域が、金属加工の町へと生まれ変わったのは江戸時代のこと。度重なる川の氾濫によって農業が難しくなり、「なにか代わりになる産業を」と考えた人々が、江戸から和釘職人を呼びよせ、金物づくりがはじまったというから、その歴史は想像以上に深く長い。
のどかな田園風景が広がる燕市内。工場の片隅にある工具ひとつにも趣がある。
燕市の歴史や技術遺産を保存する『燕市産業史料館』の主任学芸員、齋藤優介さんにお話をうかがった。「燕の特徴は、特化した分業体制にあります。金型製作から鋳造、プレス、研磨まで…工場ごとに異なる作業を担当し、すべてを市内で完結させる。だから、クオリティと生産効率を両立・維持できるんですよ」。その言葉からは、金属洋食器の国内生産高、90%以上を占めるほどの一大産地にまで成長したこの町への誇りと愛着が感じられた。
『燕市産業史料館』の外観と、主任学芸員の齋藤優介さん。ここに来れば、燕産業の魅力を存分に味わえる。
しかし、今や燕市は「国内最大」から、「世界的」な存在となっている。その発端をつくったキーマンが『燕商工会議所』サービス課長の高野雅哉さん。早速、そのいきさつをうかがってみよう。
「そもそもは、燕の研磨技術を知ってもらいたくて、2003年に研磨の専門家集団『磨き屋シンジケート』を設立したのがきっかけ。発足後すぐに、アメリカのコンピューター会社から音楽プレーヤーのボディパーツの研磨を依頼されて、その話題を聞きつけたメディアが次々と取り上げてくれたんです」。それは正に、地場産業が世界に羽ばたく瞬間だった。
「その後、この技術と知名度を活かして、ステンレス製の高級ビアカップと手頃なタンブラーを発売。そのとき掲げたのが『Made in TSUBAME』の名前だったんです」。そう語る高野さんの目には、当時と同じ、強い熱意が宿っていた。
「もっと多くの人に燕製品を届けたい」と話す、『燕商工会議所』サービス課長の高野雅哉さん。
2008年にスタートした『Made in TSUBAME』。その名前から、燕市全体の地域ブランドと思われがちだが、実は少しちがう。「燕市と隣接した市町村で成形・組み立て・表面加工が行われていること。製品外観面積の50%以上が燕市内でつくられていること。これらの条件を満たしていないと、ブランド認可はできないんです」と、話す高野さん。その表情には一切の妥協がない。
『Made in TSUBAME』とは、燕のクラフトマンシップが輝く製品のみに与えられる称号であり、同時に、この地でものづくりに携わる職人たちの技と誇りの象徴として息づいている。高野さんの言葉と眼差しから、この地域ブランドの背景にある想いをリアルに感じることができた。
『Made in TSUBAME』のロゴマークは、「燕」の漢字がモチーフになっている。
こうした燕の歴史と技術、そして心意気に魅了されたのがKalitaだった。『Made in TSUBAME』の名を冠した、美しいコーヒー器具を世に送り出したい…そんな情熱からはじまったのが『TSUBAME & Kalita』プロジェクト。燕市内のメーカーとの共同開発がスタートした。その第1弾に選ばれたのは、ウェーブドリッパー。その第1弾に選ばれたのは、銅製・ステンレス製のウェーブドリッパーだ。
プロジェクト実現のために尽力してくれたのは、燕市内にある金属洋食器メーカー『株式会社タカヒロ』の代表取締役、高橋広紀さん。「燕の魅力を広められるならと思って、自ら志願しました」と、その言葉からは、プロジェクトに傾けた情熱がひしひしと伝わってくる。
燕市内にある『株式会社タカヒロ』のオフィス。代表取締役の高橋広紀さんは、生まれも育ちも燕市とのこと。
そしてはじまった製品づくり。実際の作業は、高橋さんが絶大な信頼をよせる『株式会社田辺金具』に依頼した。作業に当たったベテラン工場長の笠原さんが、製品の要となるプレスの工程を説明してくれた。
「一度で製品にならないのが、金属加工の奥深さ。見た目とは違い、とても繊細な作業で。自分の体より大きいマシンと会話しながら、理想の形状になるまで何度も金型をつくり、何度もプレスしていくんです」と、試作品を手に取りながら話す笠原さん。その手つきはもはや芸術家のようでもある。こうして完成した原型は、メッキ加工を経て、最後の工程である研磨へと移っていく。
工場長の笠原さんがプレスの仕上がりを確認している。大きなプレス機を駆使して、繊細な刻印まで表現するのだ。
今回の新作ウェーブドリッパーの研磨はすべて手作業。プレス時にできた傷や光沢のムラを見分けながら、バフと呼ばれる研磨用の布に製品を押し当て、手早く研磨していく。これぞ燕の職人芸だ。
「研磨職人の育成施設『燕市磨き屋一番館』で修行しながら、うちの工場に勤務している若手も多いですよ」と、優しい眼差しで話す笠原さん。一つひとつの製品と向き合いながら、若手もベテランも日々研鑽を重ねていく。きっと、その積み重ねが、この町をここまで育ててきたのだろう。
さまざまな年代の職人が研磨職人として活躍している。製品の仕上げである研磨に、一切の妥協は許されない。
ウェーブドリッパーは、元々、ビギナーからプロまで幅広く支持されているKalita定番のアイテムだ。今回の製作を取り仕切った高橋さんはこう語る。「底部にある三つ穴構造と、対応するフィルターの波形のヒダの組み合わせで、一定の量・スピードで抽出できる。だから、誰でも簡単に、安定した味が楽しめる。でも、今回のモデルで最も注目してほしいのは金属製ならではのデザインと美しさですね。グリップから台座まで、従来製品とはひと味違うスタイリッシュに仕上げています」。
Kalita史上初となる銅製ウェーブドリッパーを中心に、サイズ・仕上げ違いの計8製品が誕生した『Made in TSUBAME』との共同プロジェクトは、まだはじまったばかり。これからも金属加工の町・燕ならではの美しく機能的なアイテムを準備中だというから、今後の展開も気になるところ。でも、今はひとまず、新作ウェーブドリッパーで「ちょっといい時間、ちょうどいい時間」をお楽しみいただきたい。
洋食器の町から生まれた新作ウェーブドリッパー。銅製・ステンレス製ともに見事な仕上がりである。